2014年3月29日土曜日

森の中37

(昨日のつづき)

「あ、その枕と人形はダメ!!」とA子は目の前の作業員の手から、枕と白い犬の人形をぶんどった。
「ひやっ、ああ、ごめんなさいね。でも、いるものは分けてあるって、奥さんがおっしゃってたものでね」
「まあ、ゴメンナサイね。この子、さっき帰って来たものだから、ほら、あんた、他にいるものはない?」
「うん、大丈夫。あの、ごめんなさい」
「いえいえ、良いんですよ。枕や人形は売れないものですしね。売れないものは処分になるから、持ってってもらった方が良いんですよ」
A子は頷いた。作業員は、またテキパキと荷物を運び出して行く。しばらくすると、部屋から三角のカゴ以外のものが全部無くなっていた。玄関先でS子とリサイクル屋が話している。空の段ボール箱みたい。
「そいじゃ、こちらが買取代金の361,129万円で、こちらが処理代の10,000円です。で、こちらが出張&作業費5,000円になりましす。で、差額が346,129円です。了解いただけましたら、ここに、サインお願いします」
「あら、見積もりよりも随分と多いわよ」
「あ、先ほど、トラックに積み込みながら、改めて料金を算出しましたが、テレビが新型だったのと、ソファーの状態が良かったのと、後、鞄と靴の方が何点かブランドもので状態が良かったので。もし、明細がお入り用でしたら送らせていただきますよ」
「あら、そうなの。何だか得しちゃった。明細は必要ないわ。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。では、またのご依頼お待ちしております。失礼いたします。ありがとうございました」
バタンとドアの閉まる音がして、ふんふんふんと鼻歌まじりに母が上機嫌でリビングに戻って来た。
「ふふ、得しちゃったわ。やっぱり、村でも初めはお金はあった方が心強いものね」
「・・・得しちゃったって、母さん、もしかして、父さんに買ってもらったバッグも売っちゃったの?」
「やだ、あれは売ってないわよ。カゴに入ってるわよ。でも他はぜーんぶ売っちゃったわ。ああ、何だかセイセイしちゃった。ねえ、あんたお腹減らない?中華でも取ろうかな~」
と言いながらトイレに行った。A子は枕を持ったままビックリして立っていた。持ち物を全部売って34万円って、高いのかしら?安いのかしら?でも、トイレから戻って来たS子を見ると清々しい様子なので、そんなことはどうでもいいんだ。たぶん、お金だっているだけあればいいんだと思った。
「あ、ねえ、母さん、中華いらないわよ。帰ったら夜食があるってチヨちゃんが言ってたわ」
「あら、そうなの。じゃあ、マズい中華なんかいらないわね。ところで、ねえ、A子、いつまでそれ抱いてるの?」
「あ、ほんと」
「早く、カゴに入れちゃいなさいよ」
「うん」
A子が枕を入れようと三角のカゴの蓋を取ると、カゴの中に茶色の革の鞄とカーテンと調味料とトイレットペーパーが3個入っていた。
「やだ、かあさん、なんでカーテンと調味料とトイレットペーパーなのよ」
「何言ってるのよ、何よりも直ぐにいるじゃない。お布団は入らなかったから、マキさんちで2、3日は借りれば良いでしょ。でも、恥ずかしくてトイレットペーパーは借りれないわ」
「やーね、村にも雑貨屋さんあるわよ」
「あら、でも、いいのよ。あるもの買わなくていいじゃない。あんたこそ、その枕もうヘタヘタじゃないよ」
「いいの、この枕で寝るとよく眠れるの」
A子は枕を三角のカゴに入れて蓋を閉じた。

(つづく)

2014年3月28日金曜日

森の中36

(昨日のつづき)
 
 ポケットから鍵を出して、右に回す、回らない。反対に回すとカチッと鍵が閉まる音がした。「あれ?開いてたんだわ。S子母さん帰ってるのかしら?」もう一度、鍵を右に回した。「ただいま」と言いながら、洗面所に行き、手を洗う。「A子、A子なの?」とリビングから大きな声が聞こえて来た。A子はリビングの方へ行くと、S子が台所の調味料をテーブルの上の奇妙な三角のカゴにカチャカチャと詰めていた。
「あんた、遅かったわね。あら、あんたはカゴどうしたの?」
「・・・カゴ? あ、ああ、カゴなら、湖に沈んでいったわ・・・」
「あら、そうなの。じゃあ、あんたも持っていくものがあったら、そこカゴに一緒にいれなさいね。えーと、あと、ねえ、あと絶対いるものってなにかしら?」
「・・・、え、ああ、えーと・・・?」
「あ、そうそう、えーと、転校の手続きは向うでできるらしいし、後は、塾とかピアノとかなんかも、ま、電話すればいいでしょ。それから、あとは、っと、えーっと」
「・・・? 引っ越しって、どこへ?」
 ピンポーンとチャイムが鳴った。
「ああ、もうリサイクル屋が来ちゃったわ。はいはーい」
とS子は玄関に向う。A子は呆然とその場に立ち尽くした。A子の目の前では、鼠色のツナギを着たリサイクル屋の作業員が3人テキパキと立ち働いていて、ソファーもテレビも食器棚も服も、なでもかんでも手当たり次第みんな持っていこうとしている。
「奥さん、このカゴもですか?」
「あ、そのカゴは違うの。それは違うわ。それ以外は全部持って行ってちょうだい。ホントに助かるわ、こんなに直ぐに来てくれるなんて思ってもみなかったわ」
「まあ、うちはこれでも迅速がモットーでやらしてもらってますから。でも、ホントに急ですね。いや、理由はお伺いいたしませんよ。うちはそれも主義でして。でも、奥さん、その日に来てくれって言われたのは始めてですよ。今日はたまたま一つキャンセルがあったんでね。へへへ」
A子の部屋からもどんどん荷物が運び出されている。

(つづく)

2014年3月27日木曜日

森の中35

(昨日のつづき)

「白い犬をちょっとでも見失うと森じゃないとこに行くのかな・・・」前を行く白犬が木の陰や岩陰でフッと目線から外れる事がある。「あ、また木の陰に入っちゃった」A子はちょっと前のめりに転びそうになった。顔を上げると突然に森が開けて、目の前に湖があった。A子は白い犬を探してキョロキョロと回りを見回した。「わおーん」白い犬は、砂地に置いてある木のボートの上で満月に少し足りない月を見上げて吠えている。「ふふ、オオカミみたいだわ」A子はボートに近寄った。白い犬が湖の真ん中を見つめている。「分かったわ、ボートを湖に出すのね」A子はボートを湖まで押した。ボートはザブンと水しぶきを立てて、そして、ゆらゆらと浮かんだ。A子はとっとボートに乗った。白い犬が舳先で前を向いている。ボートは波のない盆のような水面をナイフで切るようにすーっと進んでいく。湖の真ん中辺りでボートはピタリと動かなくなった。湖の底からぽかりぽかりぽかりと泡が3つ出て三角になった。「ここにカゴを置くのかしら?」A子はその泡をじっと見た。泡はザクロ石のような赤い色をしている。白犬が「わん」と小さく吠えた。A子は三角のカゴを泡の上にそっと置いた。カゴは泡に包まれて、フワフワと湖の底に沈んでいった。

(つづく)

2014年3月26日水曜日

森の中34

(3月19日のつづき)

 見た事のない駅のホームで電車を待っている。線路の直ぐ前が大きな湖になっている。湖の遊覧観光船が駅に近寄って来た。「ブオー、ブオー」と辺りを振るわせる大きな汽笛が鳴る。私の立っている目の前に船が来た。近くで見ると外国にでも行けそうな立派な船だった。船の横腹の窓が開いて、縄梯子が降ろされた。見ていると灰色の鼠がそれを伝ってゾロゾロと降りて来る。降りて来た鼠たちは四方八方に散っていった。そのうちに鼠が一匹も居なくなって、鼠の降りた縄梯子を、年をとった男の人が窓の中へ引き上げていた。私は、その男の人に向かって叫んだ。
「おじさん、その船はドコへいくの? ねえ、湖の来たの方へ行くのなら、乗せてくれないかしら? ずっと待っているのに電車がちっとも来ないのよ」
男は、ゆっくりとこちらを見て言った。
「この船はもう沈むんだよ。だから、今、鼠を逃がしてやったんだ。沈んでもいいなら乗せてやるよ」
「いやだわ、沈むんだったら乗らないわ」
「そうかい、じゃあ、さようなら」
「さようなら」
男は、手を振って、窓をパタリと閉めた。船はゴゴゴゴゴゴとエンジンを回して、湖の岸からどんどんどんどん離れて、米粒ほどの大きさになるまで離れていった。その遠くの船の煙突からプシューと噴水が高く吹き上がり空に虹を作った。「クジラみたいだわ。・・・ホントに沈むのかしら」とじっと目を凝らして船を見ていると、音もなくホームに電車が入って来て、私の視界を遮った。「プシュー」と目の前のドアが開いた。やっと来た電車に乗り込むと、その車内には白い犬が乗っていた。「ワンワン」と吠えて、私を呼びながら、前の車両の方へ歩いていく。白い犬の後をついて、次の車両に入ったら、大きな木の根にけつまづいた。森の中にいた。相変わらず、白い犬が目の前を歩いていく。

(つづく)

2014年3月19日水曜日

森の中33

(昨日のつづき)

 見た事のある家の中にいた。濃い茶色をした古い板の間は鈍く光っている。板の間の先には一段下がった細い台所があって、昔は土間だったんだろうなと思う。その右手の奥にお風呂があるけど、近くの銭湯に行く習慣があるので、ほとんど使われていない。水垢で曇った鏡の前に置かれた石鹸がばりばりにひび割れて乾いている。お風呂の窓から、まばらに苔の生えた光の薄い裏庭が見える。この北側の裏庭に行く為の扉はない。お風呂の小さい窓とその反対にあるトイレの小窓から見えるだけだ。トイレ側に小さな山茶花の木があって、一日のうちにほんのちょっとの間だけ、そこに太陽の光があたる。でも、十分では無いようで、その木は一向に大きくならない。ある冬に本当に小さい赤紫色の花が二つ咲いてるのを、トイレの窓から見た事がある。
 ワンワンと犬の鳴き声が聞こえる。まだ白は生きているんだと思って、玄関で靴を履き、表の庭に出る。白が生きているなら、小さい池の鯉も泳いでいる。そう思って、鯉を見ようと池を覗いた。15センチ位の金色のと黒いのと赤と白の模様のが見えて、その横に赤い金魚も一匹泳いでいた。「ああ、そうだ。この前の夜店ですくった金魚をここに入れたんだ」と思う。ワンワンとまた白が吠える。「普段、ほとんど吠えないのに、どうしたんだろう?」と白の方を見ると、桜の木の下を前足で掘っている。その横に花咲か爺さんじゃなくて、自分のおじいちゃんが白の背を撫でながら「ほれほれ」と白に言っている。「おじいちゃん」と声をかけようとした時、ワンワンと門の外からも白の声が聞こえる。「ああ、白は外に出てしまったんだ。捕まえなきゃ、保健所に連れて行かれる」と門の方に歩きかけた時、「S子、白を捕まえて来てちょうだい」とおばあちゃんが玄関のとこから、私に向って言う。私はS子じゃなくて、その娘のA子なんだけどと思ったけど、おばあちゃんは、一年位前から、ときどきそういうことがあったから、「うん、わかった」と手を振って門の外に出た。
 門の外に出た所で、大きな木の根にけつまづいた。森の中にいた。相変わらず、白い犬が目の前を歩いていく。

(つづく)

2014年3月18日火曜日

森の中32

(昨日のつづき)

 ゆらゆらとした影を追って、A子とカンは黙って、夜の森の中を歩いていた。
「ねえ、A子ちゃん、僕たちの前を歩いているものが分かる?」
「えーと、うっすらとだけど、えーと、たぶん白い犬だと思う」
「そっか、やっぱり僕と案内犬は違うんだね。僕を案内してるのは黒い犬だから、もしも、僕とはぐれても、その白い犬の後を着いてけばいいからね」
「え、案内犬?」
「うん、森の中は、黒い犬か白い犬が案内してくれるものなんだ。今日の夜は三角のカゴを置くべき所に連れってってくれるんだ」
とそう言いながら、横を歩いているカンの姿がだんだんと薄くなっていく。「ん?」と思ってA子は目を擦った。やっぱりカンが半透明になって消えていっている。
「え、カン、ドコ行くの?」
そうA子が言いかけた時には、カンの姿はすっかり見えなくなっていた。あれ? でも、手袋に着いた紐の先に、カンの左手だけ浮かんで見えている。
「良かった。カンは見えなくなったけど、側にいるんだわ」
大丈夫。A子はふうと息をはいて、少し先で振り返る白い犬に頷いてみせた。白い犬は、聞こえない声でワンと吠えると森の奥へ進んでいく。A子はカゴをしっかりと持ち直し、白犬の後を歩いていった。月の光がずっと森の中まで照らしていた。「森の中が、白と黒と銀色の粒だわ」とA子は思った。

(つづく)

2014年3月17日月曜日

森の中31

(金曜日のつづき)

 森の広場で焚き火が燃えている。赤い焚き火は、天に向かって手を伸ばしている、ゆらゆらと、熱を持った生き物のようだ。大勢の村の人たちが、紺色の衣装を着て、ザクロ石で飾った三角のカゴを持ち、その焚き火をぐるっと囲んで座っていた。森の家の人が、焚き火を囲む村人の後ろを、ゆっくり歩いて回っていた。そして、十四日月が焚き火の真上に上った時に、森の家の人は立ち止まって、一番近くに座っている村人の右の肩に白い粉をかけた。白い粉は右肩の上で戻るための三角の印になった。森の家の人は右回りに順番に印を付けていく。印を貰った人たちは、そっと立ち上がり、焚き火から離れ、いろんな方向から森に入っていく。
「ああ、次の次の次だ」A子はドキドキしていた。森の家の人が隣に座っていたカンの右肩に粉をかける。印を貰ったカンは立ち上がって焚き火を離れようとする。と、A子の右手が浮いた。あ、手袋を付けたままだ。森の人は「おや、じゃあ一緒に行きなさい」とカンを脇に待たせて、A子の右肩に粉をかける。A子は印を左手でそっと確かめながら立ち上がった。森の家の人は、次のチヨの肩に白い粉をかけていた。カンが小声で「行こう」と耳打ちした。A子とカンは二人で森に入っていった。A子は森に入る前にチラッと焚き火の方を振り向いた。焚き火の側で母親のS子がゆっくり立ち上がる影が見え、その先に小さなトウの背中が一人で反対側の森の中に入っていくのが見えた。

(つづく)

2014年3月14日金曜日

森の中30

(昨日のつづき)

「♪な〜なか〜い、かぜふいて〜、あたたかく〜なる〜、あ〜おいおとが〜、たたたたたたた〜、し〜ろいたいよう、さんかいお〜ちいて〜、あ〜かいめをした、とりがとんでいく〜、き〜のうみたゆ〜め〜、こゆびの〜さ〜きか〜ら〜、こぼれてく〜、も〜りのかげふんで・・・」

 皆で歌いながら、村の家々をまわる。それぞれの家の女の人がお菓子や料理を一つづつくれる。それを持ってきた木の重箱に並べていく。村の家を全部回ったら美味しそうな3段のお重が3セット出来上がった。
「よし、全部回ったな。一度お重を置きに家に戻ろう」
「すごいわね、計ったみたいにキレイに並んだわ」
「そうよ、いつも上手くできるものなのよ」

 家に戻るとマキさんが玄関扉に緑色の幕を掛けていた。
「ただいま、キレイな緑色ね」
「あら、おかえりなさい。こっちもちょうど終わったのよ」
「これ、お重」
「ハイ、皆、ご苦労様。一つはここに置いてってちょうだい。後の二つは中のテーブルに置いておいてね」
マキさんは門の下に台を置いて、お重を一つ置いた。
「それ、どうするの?」
「ああ、これは森とか空とかものの分なのよ。それよりも、S子さん、村中を歩いてお腹減ったでしょ。さあさ、中でお重を頂きましょうよ」
家の中に入るとテーブル椅子に座って、子供たちが待ち構えている。
「まあ、お待たせ」
「おかあ、はやくはやく」
皆で村を回って貰ってきたお重の中の料理はとても美味しかった。今朝、皆で作った料理はきれいさっぱり配られて、ひとかけも残っていなかった。S子は「ほんと、全部配っちゃったのね。あ、秘伝のタレの味見しておけば良かったわ」と思った。

「さて、お茶を飲んだら森に行こうか。カン、飾ったカゴを持っておいで」とコウが言った。「いよいよ行くんだ」とA子は思って、テーブルの脇に外しておいた手袋をぎゅっと掴んだ。

(つづく)

2014年3月13日木曜日

森の中29

(一昨日のつづき)

 ちょうど、太陽が真上にあった。「抜けるような青空というのはこういう事を言うんだわ」とA子は思った。コウとマキ、チヨとカンとトウ、そしてA子とS子たちもすっかり紺色の衣装で身支度をして、家の前にいた。でも、マキさんだけは普段着のままだ。
「やっぱり、私も残って、マキさんのお手伝いしようかしら?」
「もう、S子さん、せっかくお祭りに来たんだから楽しんでらっしゃいよ。それに、そうよ、ここに住んだら、S子さんは来年は自分の家を守らなくっちゃいけなくなるわ。だから、前夜祭は回れなくなるよ」
「あら、じゃあ、一回は前夜祭も見といたほうがいいのかしら・・・」
「そうよ、明日は一緒に回れるからね」
何だか、すっかり母親同士が仲良くなっている。チヨとA子はそれを見てクスクス笑った。
「カン、しっかりトウの面倒見てね」
「うん。トウ、この手袋を右手に付けて」
カンがトウに渡した手袋には1mくらいの紐がついていて、カンが左手にしてる手袋と繋がっている。
「うん、カンにい、しっかりついてきてね」
皆、くすくす笑った。
「S子さんとA子ちゃんも、これを」
とコウがひも付きの手袋を渡した。
「A子ちゃんのは、私がするわ」
とチヨが繋がった右手をはめた。そして、コウが何気なく、S子と対の手袋をはめようとしてるのを見て、S子が「え、私がコウさんとペアなの?」とどぎまぎしている。それを見たマキがコウに言う。
「あんたって、ホントにデリカシーがないわねえ。それもA子ちゃんに渡しなさいよ。まったく」
「そうよ、お父さん、バカね」
「ええ、なんだよう。独りずつの方が動きやすいだろう」
「えーと、そうね、トウ、手袋をS子さんに渡して、おとうとペアになりなさい」
「トウもカンにいのほうがいい」
「なんだよ、俺、人気ないな」
「うーん、じゃあ、とう、おとうとまわったげる」
トウがS子に手袋を渡そうとしたのを、チヨが「あ、そうだ」と取ってA子に渡した。そして、「はい、S子おばさんは、私と」と自分と繋がっている手袋をS子に渡した。
結果、トウとコウ、A子とカン、チヨとS子というペアができた。
「これが一番いいわ」とA子は自分のアイデアに満足している。マキさんも「そうね」と言って頷いた。A子とカンだけちょっと照れくさそうだ。

(つづく)

2014年3月11日火曜日

森の中28

(金曜日のつづき)

 ぶかっとした紺のズボン、紺の地下足袋、紺のシャツ、星の飾りと草花の刺繍を施した紺のマントを着る。
「可愛いけど、不思議な格好ね」
「今夜は森に入るのにこの格好じゃないと、捕まっちゃうからね。紺色だと夜に紛れるでしょう」
「捕まるって何に?」
「何って、森のものによ」
「それ、捕まるとどうなるの?」
「えーと、森になっちゃうらしいのよね、えーとね」
昨年、村では21人の人が死んだ。彼らは森のお墓に埋められている。そして、祭りの日、満月の晩は、森のものは活発に動く。死んだ人の魂は、ものに吸い取られて、森の一部になる。だけど、森のものは死んだ人だけじゃなくて、他の命も吸い取ってしまうことがある。満月の夜は森の中をものが地下と空中をグルグルまわる。ものはぐるぐる回りながら、熱のあるものを内に引っ張りこんでは、外に吐き出す。出たり入ったりしてるうちにだんだん形があやふやになって、森と混ざっていく。
「でも、この服着てれば大丈夫。ほら、刺繍もお揃いだから迷う事もないわ」
チヨはそう言うけど、A子は今晩森に入るのがちょっと怖いような気がした。

(つづく)

2014年3月7日金曜日

森の中27

(昨日のつづき)

 チヨたちのお母さんとA子の母親はテキパキと料理を作っていた。子供たちはテーブルを飾ったり、パン生地を丸めたり、焼き上がったクッキーにジャムを塗ったりしていた。A子はチヨたちのお母さんと楽しそうに料理を作っている母をチラッと見た。正直、母親はいつだって人によく見られようとしている。外に出るときは化粧も濃いし、言葉遣いも丁寧すぎるくらい。その反動で、外ではにこにこしてるのに家では文句ばっかり言って怒っている。ちょっとプライドが高いから、根は真面目で優しい人なのに窮屈な感じになる。ずっともっと気楽にやればいいのにと思っていた。それに、これまでの母親だったらお祭りなんて来ないだろうし、万が一、来ても、町のブティックで買った長ったらしい他所行きの黒い服を着て、首飾りや指輪なんかつけて、オシャレするに決まっていた。なのに、今、A子の目に見えている母親は茶色の綿のズボンにトックリのシャツに手編みの白いカーディガンという、おおよそ、ほんの近所に買物にいくような普段着を着て、エプロンを借りて、チヨたちのお母さんと普通に気楽にもう長い間の友達のように楽しそうにやっている。
「ほら、A子、そっちのオーブンのパウンドケーキの焼き色の様子見てちょうだい。もし、焦げそうならアルミホイル被せてね。そうだ、マキさん、こっちのお魚はどうするのかしら」
「あ、S子さん、それフライにするから、3枚に下ろしてくれるかしら。棚の下に魚用の包丁が入っているわ」
「ええ、わかったわ。包丁はこれね。フライにするなら、下味は塩胡椒かしら」
「ううん、それは秘伝のタレがあるから。ねえ、チヨ、裏のからフライのタレ取って来てちょうだい。あ、お肉のお味噌も」
「あら、秘伝のタレなんてあるの?」
「そんなたいそうなもんでも無いんだけどね。ずっと昔から、ちょっとづつ継ぎ足してる生姜醤油があるのよ」
「まあ、なんだか鰻屋みたいね。でも、こんなにたくさんの料理をするのって久しぶりだわ。いつもA子と二人分だからチマチマしてるのよ。この魚全部フライにしたらすごいわね」
「あら、普段はこんなに作らないわよ。でも、うちは家族が多いし、子供もよく食べるから」
「いいわねえ。たくさん料理するのって、ホントに、なんかやってるって気がして、せいせいするわ」
「ふふ、でも面倒なときもあるわよ」
「そりゃ、毎日のことだからね。私なんかもときどきダメでお惣菜とか買っちゃうわ。レストランに娘と二人でけで行くのも気が引けるしねえ」
「あ、そうそう、町みたいなレストランはないんだけど、この村にも食堂があるわよ。お祭りの間は閉まってるんだけど、お昼の定食がすっごく美味しいのよ。ね、一緒に行きましょうよ」
「わあ、ぜひ、行きたいわ。あの、お祭りの後も、ときどき遊びに来ても良いかしら?」
「あら、お祭り終わったら、直ぐに帰っちゃうつもりなの? 何か用があるなら仕方ないけど、うちなんかいつまで居てもらっても構わないのよ。ああ、そうだわ。それよりもいっそ、この村に住みなさいよ。あのね、ここから歩いて5分位のところにね、まだ使える空家があるのよ。そこに住んじゃいなさいよ、ね、そうしなさいよ、S子さん」
「まあ、マキさん、なんて素敵なアイディアなの!!私もこの村に来た時、こんな所に住みたいなって思ったのよ」
そろそろとオーブンのパウンドケーキにアルミを被せていたA子は、この急展開にビックリして思わず振り向いた。
「S子母さんっ、本気なの? あ、熱っ」
「A子ちゃん、大丈夫?火傷しなかった?」
「うん、大丈夫、マキおばさん。ちょっとオーブンの縁を触っちゃっただけだから」
「ダメよ、裏の井戸水でちゃんと冷やしてらっしゃい」
「ホント何やってんのよ。A子ドジねえ。早く行きなさい、あと残っちゃうわよ」
A子は心の中で、いや、母さんがおかしいんじゃないのと思ったが、ちょっと痛かったので「はい」と返事をして井戸に行った。
 
 冷たい井戸水に手を浸しながら、母さんが町に居たときと全然違ってて、それは良いように違ってる気がするけど、でも、引っ越すなんてことを軽々しく言ったりするなんて、本当にらしくない、どういうことかしらとボンヤリしてると、「A子ちゃんどうしたの?」と手に小さい陶器のタレの壷を持ったチヨが隣にしゃがんだ。
「あ、チヨちゃん。うーん、なんだか、母さんが変なの。悪くはないんだけど、いつもと違うの。ちょっと知らない人みたい」
「あら、親でもない知らない人があんなに大きな声で急に叱ったりしないわよ」
「それは、そうなんだけど・・・、うーん」
「どう、変なの?」
「何か無理してないっていうか、明るいっていうか、・・・それに、この村に住もうかしらなんて言うのよ」
「きゃあ、そうなったらステキね。そうだわ、この近くに空家があるの。そこに住みなさいよ。私、近くに同じくらいの年の女の子が居なくってつまらないのよ。A子ちゃんが近くに住んだらきっと楽しいわ」
「その家のことマキおばさんも言ってたわ」
「そう、結構すてきな家よ。まだ掃除すれば住めるし、ちょっと小さいけど二人で住むなら十分だわ」
「・・・でもね、タダって訳じゃないでしょう。きっと、そんなお金うちにはないわ」
「ん? 空家なのよ。前に住んでた人は外国に行ったの。ドコかの国の森を守る仕事をするんだって、もう戻ってこないのよ。それに人が住まないと家って崩れちゃうでしょ。村の人も喜ぶと思うわ。家が崩れるのって悲しいもの」
「そういうものなの? 空家って言っても誰かのものでしょう。勝手に住む訳にはいかないじゃない」
「えーと、ゴメン、A子ちゃんが何を言ってるのか、ちょっとよく分からないんだけど・・・」
A子とチヨは井戸の側にしゃがんだまま、何故か小声でごにょごにょと話をすり合わせた。どうやら、この村には家どころか土地を所有するという考えが存在しないらしい。そのことがやっと分かった頃には、井戸水に浸けっぱなしのA子の手はキンキンに冷えていた。

(つづく)

2014年3月6日木曜日

森の中26

(昨日のつづき)
 
 目が覚めたA子は、ベットから居りて台所の方へ歩きながら、なんだか身体がふわふわするし、チカチカと何かが弾けているような感じがすると思った。台所にはもう皆いて、お母さんはパンの生地を捏ねていて、テーブルではチヨとカンとトウが朝ご飯を食べている。
「おはようございます」
「あら、おはよう。良く眠れたようね。今日は前夜祭よ。たくさん料理を作るからA子ちゃんも、そこのサンドイッチで、朝ご飯すましたら手伝ってね」
「はい」と言いながら、A子もチヨの隣に座ってサンドイッチを食べはじめた。
「ね、今日の前夜祭って何があるの?」
「んと、夕方になったら、森にカゴを持って行くの。昼は子供は村の家を回って、カゴを集めたり、道の角で歌ったり・・・。んー、とにかく楽しいわよ」
「きょうはおかし、いっぱいもらえるよ」
空になったお皿を持って、トウがぴょんと立ち上がった。そして、水道の前の台に上って自分でお皿を洗って棚にしまった。カンも同じように皿をしまった。チヨも食べ終わってる。
「大丈夫よ。ゆっくり食べて。あの二人はとっても張り切ってるのよ」
急いで食べようとしているA子に、チヨは笑いながら言った。
「そうよ、ゆっくり食べなさい。朝ご飯は大事よ」
とお母さんが温めたミルクを注いでくれた。その時、玄関の方からザワザワと人の声がした。
「おーい、A子ちゃん、お母さんが来られたよ」
コウが台所の入口から顔を出した。その後ろにA子の母が行儀よく着いて来た。が、テーブルでサンドイッチを食べているA子を見るやいなや、ぐいっとコウを押しのけ、つかつかとA子に近寄って、テーブルの端を叩きながら大きな声を出した。
「もう、あんたって子は、あたしがどんな毛心配したかわかってるの?」
その声の大きさにA子はちょっと面食らった。
「で、でも、森に行ってって言ったのは、母さんじゃない」
「そ、そうだけど、何日も帰ってこないなんて、それにお祭りがって、手紙を大きな黒犬が持ってきてっ、今日だって、大きな白い犬がっ」
「まあまあ、奥さんもサンドイッチ召し上がらない?随分と朝早かったのでしょう?」
A子の母がちょっと泣き出しそうなところへ、チヨたちのお母さんがミルクをそっとテーブルに置きながら言った。
「そうよ、おばさんもサンドイッチ一緒に食べて」
チヨの声に、A子の母ははっと我にかえって回りを見た。トウがビックリした顔でA子の母を見ていた。
「やだ、私ったら人のお家で大きな声を出しちゃったりして、ホントに私ったら、ご、ごめんなさい。そ、そうね、頂いていいかしら?」
「ええ、ええ、どうぞ、どうぞ。お祭りの料理を作ったら、村を案内しますわ」
「あ、ありがとう。あの、もし良かったら、その、そのお祭りのお料理のお手伝いしていいかしら」
「あら、それは助かるわ」
A子は急に行儀よくなった母を見て笑った。
「ふふ、母さん、料理得意だもんね。ね、ほら、食べてみて、この村の料理スゴく美味しいのよ」
「やーね、笑わないでよ。もういいじゃない、でも、あんたが元気そうで安心したわ」
母はふうと息をついてから、サンドイッチをひとつつまんで「本当だわ。なんて美味しいのかしら」と言った。
「ん、黒い犬と白い犬って何の事?」
A子は首を傾げた。

(つづく)


2014年3月5日水曜日

森の中25

(2月27日のつづき)

「こっちよ」とチヨはA子の手を引いて、カンはその後を少し遅れてとことこと川沿いの道を歩いている。
「あ、あの辺、湯気がたってる」
と、A子が指を指す川の流れの右の方が湯気で煙っている。
「あそこの先の道を右に入った林の中に温泉があって、そこから川にも少しお湯が流れているのよ」
右手の先にこんもりとした林、その曲がり角に「天の川温泉」と書かれた幟が2本立っていた。
 
 お湯は白く濁って少しゆで卵の匂いがする。
「ふふ、ちょっと遅い時間だから貸し切りね」
「すごいわ、こんなに温まる温泉知らないわ。なんだか、いろんなこと忘れちゃいそう。そうだ、明日、お母さんを連れて来たあげていいかしら」
「うーん、明日は止めた方が良いわ。だって、ここ明日は空と繋がっちゃうから誰も入れないのよ。でも、お祭りの後だったら大丈夫」
「え、空と繋がるって、なあに?」
「ん、だってココは天の川だもの。ほら、空にあるミルキーウェイなの。よく分かんないんだけど、あそこからココにお湯が沸いてるのよね。それで、満月の時は月が明るくて星は見えないじゃない。だから、こっちに反転しやすいんだって、確か4年生の時に習ったわ。ねえ、カン、あんた理科得意でしょう。あたしの説明あってるかしら?」
「えーと、反転というのとは少し違うけど、だいたいそんな感じ。でも、普段も小さな穴は開いてるんだ。で、距離と時間の関係があるんだけど、姉ちゃんどうせ聞いても分からないだろ」
「あら、生意気ね。そうよ、女にとってはそんなことどっちでもいいんだわ。ね、A子ちゃん」
「なんか難しいのね。でも空と繋がってるなんて、ちょっと話は信じられないわ・・・。でも、ココに入ってたら、そうなんだってことが何となく分かるわ」
「そうそう、理屈なんかどうでもいいのよ」
「でも、お祭りの間に温泉に入ったらどうなるのかしら?」
「それは、簡単。どこかに行っちゃうのよ。それにココすっごく光るから眩しくって近寄れないわよ」
「ふうん、ホントにこの村は町とは違うのねぇ」
A子は半分顔を沈めて、ぶくぶくと息を出した。
 ずっと遠くはずっと遠い。ココで見えてるあの星は今じゃないってこと。

(つづく)